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Notes
" 「いま、自分にできることをやる!」、「いま、わたしにできることは何なのか」………。
多くの人が、震災以降このような〈呪文〉にも似た言葉を社会のいたるところで耳にしてきた(あるいは自分自身で発言してきた)のではないでしょうか。
震災の被害に対して自分にいま〈できる〉支援とは
何か? あるいは、そもそもわたしに支援が〈できる〉のか〈できない〉のか。震災に対するわたしたちの係わりを見ていると、多くの場所で、また多くの機会
にこのような自問(呪文)が繰り返され続けていることに奇妙な感覚を覚えます。あたかもそれは、震災に対するわたしたちの係わり方には「支援〈できる/で
きない〉」といった一つの切り口しか存在しておらず、またそこでの係わり方の善し悪しが、その〈できる/できない〉といった価値基準からだけで判断(評
価)されてしまっているかのようです。そういった意味からすれば、わたしたちの多くが、震災以降、このような支援〈できる/できない〉といった能力主義的
な価値基準をもとに一気に試され続けていると言っても過言ではありません。それだからこそ、震災の被害に対する直接的な支援の成果を見出しにくい芸術や文
学、さらには哲学などの活動をしている多くの人たちから、あらためて自分の「できなさ」「役立たなさ」に〈負い目〉を感じてしまっているという発言が相次
ぐのかもしれません。芸術や文学、哲学などといった活動は、震災の被害に対して何も〈できない〉無意味なものなのでしょうか? 直接的で実効性があり、役
に立ち、そして成果が見えやすいものだけが〈支援〉と呼ばれうるものなのでしょうか? "